事故から42日後の2024年11月15日(金)、ようやく退院する。これまで多くの方々から医療費の支出へのご寄付を頂き、心より御礼申し上げます。
退院はするものの、患部の消毒、ガーゼの交換は2、3日に一度必要で、それらをナースに依頼しなければならず、また、縫合箇所の抜糸もまだなので、治療費の支出はまだ続く。
Day 42
11月15日(金)
03:20 目が覚める。2時頃まで眠れなかったので、1時間あまり。いろいろ考えて結局朝を迎える。
05:00 起床、電気が点灯し、おばちゃんの元気な声。1日が始まる。歯磨き、洗顔、洗髪、身体の水拭き。支給されるタオルは小さめのフェイスタオルサイズなので、背中を拭くのに難儀する。肩の関節が柔らかいので何とかなっている。髭を剃る。05:35完了。
06:30 定時計測。血圧、体温、SpO2、血圧は101-71。喉が渇いたので、お見舞の燕の巣のドリンク(1本99THB≒450円!)を飲む。ほのかに甘く、ゼリー状のものがそれなのだろう。
07:05 魚のおかゆ。おかゆの中に豆のようなものを発見。これはタイの液体味噌「タオチオ」であろう。発酵食品を使うから味に深みを感じるのかも知れない。物足りないのでサラパオ(肉まん)も食べる。
07:50 経口薬。種類が増えた。感染防止のほか、炭酸カルシウム、ビタミンDといった骨の形成に関わるものも。薬というよりはサプリのようだ。
08:00 執刀医の訪問。退院前に足を真っ直ぐにする処置を行う、抜糸は2週間後、歩行器を使っても左脚は常に浮いた状態を保つこと、骨が固まるまで最低でも6週間はかかるので、負荷をかけてはだめ、患部の処置は2、3日に1回でいい。縫合跡はアルコールではなく生理食塩水でいい。痒かったらアルコールを使え、と。聞きやすい英語なのだが、医療用語を交えて早口で説明するので、一つひとつ確認する。
09:00 患部の処置。今回も薬剤を塗ったガーゼを穴に入れるのだが、今までのように詰め込むのではなく、傷口に立て掛ける、という感じで、痛みはほとんどなかった。処置はベテランのお母さん。手際がよく、仕上がりもきれい。念のために抜糸のタイミングを尋ねると、2週間後、とのことで、Dr.の説明と一致する。15分ほどで終了。
10:00 歩行訓練。廊下までの往復約10mを4点支持の歩行器で歩く。結構、上体の筋肉、握力を使う。時間にして3分程度で軽く汗をかく。左脚の痛みはそれほどではない。血液が集まるので縫合跡等が多少痛む程度である。
11:10 昼食。長い入院生活最後の食事である。白米、魚のフライ、野菜のゲーン・ソム、銀杏とピンクゼリーのシロップがけ。ゲーン・ソムは少々酸味のあるカレー。今日は結構辛く、完食できず。魚のフライもゲーン・ソムと併せて食べる。ギンナンはシアン系化合物が入っているので3個だけ食べる。ごちそうさまでした。
11時頃から激しい雨。そういえば、今日はロイクラトン、灯籠流しの日だ。昨年はチェンマイにロイクラトンを見に行ったのであったなぁ。雷も鳴りだした。
食事中にナースがくれたのは痛み止めかと思ったが、金属棒の穴に入れる特殊な資材で、「Aquacel」という商品だった。傷口にくっつかず細胞を修復してくれるようだ。
12:30 Saが来る。近所の呑み仲間のNさんが車を出してくれると話していた。雨なのでよかった。
脚に刺さっていた金属棒の病院への寄付、入院費の支払い、薬の受け取りなどをしてもらう。最後の入院費は19,200THB≒約85,924円。患部の処置は1回1,000THBで、ガタイのいい看護師に依頼したという。10回で45,000円。別の意味で痛い。
14:05 病室から車椅子で移動し、呑み仲間のNさんの車へ。助手席に乗り込むも楽なポジションが取れず結構痛む。家について友人から譲ってもらったという4点支持の歩行器で移動を試みるも、脚の痛みと低血圧もあってか激しい立ちくらみを起こし、門から2、3歩入ったところで動けなくなってしまった。額は脂汗である。
鎮痛剤(パラセタモル)を飲んで30分ほど休み、さらに近所の人々の助けを借りてようやく家に入りベッドへたどり着いた。気付けば16時である。
17:30 痛みに耐えた疲労からか目をつぶったらいつの間にか眠ってしまった。この1ヶ月間、夕食は16時に食べていたが食欲がない。退院で一区切りとなったので、これまでご支援いただいたご寄付と、医療費の支出をまとめてみる。明日には公開できそう。
夕食後眠ってしまい、夜中の01:30に目覚めた。世界情勢、日本の状況などを眺めつつ、本ブログの執筆等。爆速のwifiが快適で涙が出そうだ。おやすみなさい。
Day 43
11月16日(土)
夜中目覚めてもう一度寝る。
6時半起床。
身体と顔を石けん水で拭く。髪は面倒なのでスキップ。朝食。
午前中は頼まれ仕事を1件済ます。
昼食は、パンとチーズ、干しトマトのオイル漬け、サラダ。チーズとトマトはシチリア産。大家さんにワインを頼んだが、ナースに言われたからと買ってきてくれない。酒に厳しい国民性である。やはり余生はミャンマーで暮らすか。
歩行器を使って5m先のトイレへ。40数日振りのトイレでの排泄は得も言われぬ安心感、安堵感をもたらす。感動的ですらあった。普通であることのありがたさよ。
夕食、投薬。
9時頃に眠ってしまった。
Day 44
11月17日(日)
02:00 目覚める。
06:30 起床。ゆるゆると朝食。タライに水を張って液体石鹸を溶かし身体と顔を拭く。歯も磨く。病院と同じ方式。
患部の処置を依頼した看護師は、約束の9時に現れず、10時になった今も連絡もない。と思ったら10時丁度に来た。
ハサミ類の滅菌パック、固定フィルムなどは病院から持ってきたもののようだ。20分ほどで完了。脚の穴にガーゼを入れる処置が浅い傷口だけになったので痛みはほとんどない。楽になった。薬について、1日2回服用するものの数が足りなかったり、あるべきものがなかったりしたので、確認してもらうと、やはり間違っていたようだ。改めてくれるという。次は水曜日。1,000THBは高価だが、やむを得ない。
それにしても大腿部の側面がこんなに大きく切開されていたとは知らなかった。この部分の筋肉が破断されたわけだから、それは痛いし不自由にもなるよなと思った次第。高タンパクな食事を摂ることと、足首を動かしてリハビリすること、トイレまでの歩行訓練をすること、と言われた。
午後、夜とも特筆することもなく過ごす。兵庫県知事選挙があり、すごい結果になった。
Day 45
11月18日(月)
トイレへ2度、歩行器を使って行ってきた。だんだん力の入れ具合がわかってきて、余計な力が抜けてスムーズに動けるようになってきた。動かしたせいか、モモ側面の縫合跡が時々ピリピリ痛む。
頼まれていた翻訳に取り掛かる。下訳はChatGTPにやってもらうが、ベッドに座っての作業は、まだ長い時間は難しい。
Day 46
11月19日(火)
6時起床。身体を拭く。昨日の残りのゲーンキョワーン(グリーンカレー)で朝食。足の爪を切る。
谷川俊太郎の訃報を知る。ショックである。またひとり、大切な人が旅立たれた。
トイレへの行き来も楽になってきた。イタリアの友人から寄付金が届いた。本当にありがたい。
Day 47
11月20日(水)
18時、ナースの往診。金属棒が刺さっていた4つの穴は、ついに痛みから解放された。とても喜ばしいことだ。一方、もも側面の切開跡は生理食塩水を浸したボール状の綿で洗浄するも、場所によっては結構痛む。あと2週間ほどなのだが抜糸できるのだろうか。
処置のあと、リハビリを行うよう強く勧められる。特に膝が曲がらなくなっているので、それを曲がるように手を使って屈伸させよ、とのことである。また、普通の椅子に座るような姿勢でベッドに座る時間を持つように、とのことであった。
膝の可動域を拡げるのは結構痛い。徐々に頑張ることにする。
旧友が日本を立ち、バンコクへ向かっている。今日の深夜に到着し、明日の昼頃に来訪の予定。楽しみである。
Day 48
11月21日(木)
有朋自遠方来 不亦楽乎
昼頃に自宅まで来てくれ、たくさんの日本からの土産を持ってきてくれた。お世話になった近所の方々にもお返しができた。感謝。
そして久々の酒。積もる話やくだらない話に花が咲く。骨や筋肉は寝ている間に修復される、ということで買ってきてくれた高価なプロテインを牛乳に溶かして飲む。今日は早めに眠ろう。
Day 49
11月22日(金)
朝、web ミーティング。
昼までぼんやりいろいろ考えながらベッドで過ごす。
2時半過ぎ、友人が来る。仕事用の机に向かい、PCの配線をつなげ、請求書を作成して日本のクライアントに送る。溜まったメールの受信と掃除、友人にはモニタの向きの調整をしてもらった。
お湯を沸かして、垢まみれの両足を洗った。49日振り。やっときれいになり、すっきりした。
夕方18時まで話し込む。日本の物価高は本当に深刻だ。そんな中寄付をして下さった方々には心から感謝致します。
近所からの差し入れのクワイジャップと昼の残りのパットミーコラート(米麺の焼きそば)を分け合って夕食。食後に、彼が買ってきてくれたブラックサンダーを食べる。変わらずうまい。
寝る前にホエイパウダーと牛乳を混ぜたプロテイン。牛乳を飲むのは、実は15年ぶりくらい。思うところがあって飲むのを控えていたが、早期回復のためにはやむを得ない。
Day 50
11月23日(土)
少しずつ試みてきたが、筋肉を使って左足を持ち上げられるようになった。成長である。
友人が13:30に来る。例によって酒を呑みつついろいろ話す。大家であるSaの監視が厳しく、今日は私は呑めず。16時過ぎに近所の小間物屋の主人のGさんが再び見舞いに来る。そうこうしているうちに、退院の時に手伝ってくれたNさん、18時過ぎには、鍵を開けて血まみれの私を救急車に乗せてくれたTさんも訪れ、宴会となった。私はお預け。信心深いGさんも、今日は仏教に関する日ということで禁酒。全員と、明日は飲もう、と約束しつつ別れる。
16時過ぎには看護師が来て患部の処置。膝を曲げるリハビリを行うようにアドバイスを受ける。もも側面の切開跡が痛み、まだ滲出物が出ている状態。横で見ていた友人は、「40針位だな」と。数えてくれてありがとう。こんな状態で6日に抜糸できるのか心配になる。
明日は何か一品作ってみんなにご馳走したいが、できるだろうか。
Day 51
11月24日(日)
Nさんと、昨日、飲めなかったGさんと友人が集まって退院祝い。Gさんは日本のウィスキーが気に入ったようでずいぶんご機嫌で、ソンクラーンの踊りが出るほど。料理用に牛肉を買ってきてもらったもののフィレのステーキ肉。違うのだ、BBQ用だと言ったのに。仕方がないので、包丁でスライスする。これをニンニクの効いた故郷の焼肉のタレ「スタミナ源たれ」で玉ねぎと炒める。少ししょう油を足せばよかった。味見は大事。友人が買ってきてくれた日本のスナックも登場、ベビースターラーメンは「ラーメン・ヘン」というので大笑い。
昨日来てくれたTさんともう一人は、毎週日曜のフットサルがあるとのことで欠席。
ビールを少々いただいて良い気持ち。朝までグッスリ眠った。
Day 52
11月25日(月)
昼にホテルをチェックアウトした友人が来訪。いろいろ話し、しばしの別れのビールを酌み交わす。夜9時、夜行便搭乗のためGrabのタクシーに乗る。どうか気をつけて。また会おう。
Day 53
11月26日(火)
08:30 看護師の訪問による患部の処置。膝の屈伸のトレーニングをすると、縫合跡が開く感じの痛みを感じる旨を伝える。特に回答はなく、傷の回復状態は順調であり、次の診察ではDr.は抜糸するだろう、とのこと。
午前中、机に向かって椅子に座り仕事をする。1時間ほどで左脚が痛くなり中断。夕方になっても腫れぼったい感じがなくならない。
友人から無事、帰宅した旨のメッセージ。次は思い切り呑もう。
夕食はクイッティアオ・バミー・ヘン(汁なしタイラーメン)、大盛り。写っていないけれどワンタン(ギアオ)が4つ入っている。
Day 54
11月27日(水)
少々膝の屈伸のトレーニングをするも、やはり腫れぼったい感じの痛みが増す。ちょっとヤル気が起きず、ベッドで横になっている時間がほとんどであった。3度目の手術以来、足の親指、人差し指、中指がしびれている感覚が続いているので、足首の曲げ伸ばしだけは気がついた時に行う。
そして友人が日本から買ってきてくれたプロテインに牛乳を加えて飲む。骨の筋肉も寝ている間に修復されるのだという。修復材を投入してやる。
Day 55
11月28日(木)
昼飯に友人が買ってきてくれた煮干ラーメンを食べる。日本にいる時は神田小川町の店に時々食べに行っていたが、表示の通りの水500ccではしょっぱかった。それでも懐かしい味。
午後、机に向かってPC作業。左脚を小さな椅子に載せるが、1時間ほどで膝のダルさと痛さのためベッドへ戻る。まだ先は長そうだ。
新しいプロジェクトのために名刺を作る。片面カラー100枚、ちょっと厚めで450THB(≒1,980円)。日本より少々高いかな。
Youtubeで、日本人の若い女性がつまみを作って酒を飲む動画をいくつか観る。早くそんな暮らしに戻りたいものだ。タイのナスでカポナータも作ってみたいし、気温は30℃でも和風の鍋を作ってもみたい。結構意識しないと野菜不足に陥ってしまう。
Day 56
11月29日(金)
夕方、日本とweb meeting。終わって間もなく看護師来訪、患部の処置。いちばん大きな縫合跡がまだ痛い。まだくっついていないんじゃないかと不安になる。来週は抜糸の予定。金属の棒が刺さっていた4カ所は完全にふさがり、完治した。病院で激痛に耐えていた日々も過去のものだ。とはいえ、ネジ状になった先端は骨に刺さっていたわけなので、その穴の修復にはもっと時間がかかるだろう。
ミャンマー人の友人から電話。40分ほど話す。彼も苦労人だ。幸多からんことを。
歩行訓練
Day 57
11月30日(土)
近所の男の子が遊びに来た。興味津々だが恥ずかしがり屋さん。英会話スクールに通っているとのことで発音がほぼネイティブ。
膝を曲げるリハビリを行うが、やはり痛い。
Day 58
12月1日(日)
足に突き刺さっていた金属の棒を入院した病院に寄付をしたので感謝状が届いた。
そういえば、と入院して病院と手術をした病院それぞれからCD-R、DVD-Rをもらっていて、レントゲン写真などが入っている。
ドライブに入れるとブラウザが自動的に立ち上がる。骨折個所は膝のすぐ上で、そこを骨が突き破って飛び出たのであった。膝の上の縫合跡がそれを物語る(その3冒頭の画像参照)。
この写真は救急車で搬送されて最初に撮ったもの。3度目の手術後に撮ったレントゲン写真は含まれていない。どのように金属プレートで固定されているのか知りたかった。
夕暮れ時、Gさんがビールを持って見舞いに来てくれた。先週は日本のウィスキーを結構呑んでご機嫌だったが、やはり奥さんに叱られたとのことで、半日口を利いてくれなかったそう。わたしはロング缶一本、Gさんは大瓶1本を呑んでお開きとなった。
Day 59
12月2日(月)
退院してから気がついたのだが、左脚を動かすと足の色がドス黒く変わる。これもドクターに聞いてみよう。
1週間ほど返事のなかったタイ人の友人(国家公務員)からやっと返事が来た。タイ南部の洪水対応に追われていたようだ。健康に気をつけて。以前会ったことのある友人(国家公務員)を改めて紹介してもらう。スムーズにいってよかった。
夕食は日本のカレー。ジャガイモは抜き(くずれるので苦手)。日本からの友人のお土産。長年ジャワカレーのスパイスブレンドを食べてきて、初めて食べるカレー、S&Bの赤缶のパウダー状のルー。中辛なので少々物足りなかったが日本のカレーは久し振りだったので味わって頂いた。
Day 60
12月3日(火)
午後5時半、看護師来訪、患部の処置。膝の曲がりが悪いことが気になるという。金曜日の外来で執刀医に確認しようと思う。金属棒の跡はすっかりよいのだが、まだかさぶたになっていて、寝ている間に掻き壊してバイ菌が入らないよう保護するのだという。チャンタブリーに旅行へ行ったそうで、ジャックフルーツのチップスをお土産にもらった。彼の言う通り、ドリアンチップスより美味かった。
Day 61
12月4日(水)
膝を曲げるリハビリ。痛いが頑張って、頑張り過ぎない程度に頑張る。
寝る前にホエイのプロテインを牛乳でシェイク。ネタ状態で左脚を持ち上げる筋肉はだいぶ回復したが、ももとふくらはぎが悲惨な状態。まぁ、使ってないのだからしょうがない。
Day 62
12月5日(木)
今日はタイの祭日、プミポン王生誕日(父の日)である。といっても外に出れるわけでもないので、何も変わらない。
昼頃、Lazada(タイで大手のネット通販)で注文したタイパンツが届いた。日本の友人が欲しいというので、人柱として購入してみたのである。
私にとってはサイズはMで丁度よい。材質は残念ながら綿100%ではなく化繊との混紡だが、デザインは気に入った。黒・グレイ、グレイ・黒の2つを購入、送料込みで429THB(1,892円)である。
縫合跡が開きそうな感じが嫌で、今日はリハビリはお休みにした。明日は抜糸の予定だが、予約時間は午前8時。タクシーが拾える通りまで歩けないので、6時に起きて支度をしたらGrabかBoltを呼ぶ。これで玄関先まで来てもらえる。
Day 63
12月6日(金)
6時過ぎ、Grabを呼んで病院まで。車椅子に乗って7時ちょうどに来院登録完了。Government Hospital は医療費が安いので、とにかく混む、そして待つ。Dr.(執刀医) の診察は9時から。やれやれ。
診察室は3階。つま先が痺れるのと、動かした後に色が黒ずむことについて聞いた。明確な回答はなく、後で神経伝達を向上させるビタミンB群の錠剤が処方された。これは左肘を肘部管症候群で手術した際にも貰ったサプリ。入院中から左手に症状が出ているのでありがたい。抜糸とレントゲンを撮るよう言われる。
抜糸はやはり結構痛く、力んでしまい、小娘の処置医に呆れられてしまった。それでも痛いものは痛い。抜糸とは言うものの、糸ではなく金属であった。
その後レントゲンを撮って診察室へ戻る。レントゲン画像を見て驚いた。デカい金属のプレートが入っていて、膝のすぐ近くで固定されている。膝が腫れるわけだ。
膝の曲げ伸ばしの具合をチェックし、完全に伸ばしても痛みがないことを確認、Goodとのこと。リハビリの方向性は合っているようだ。あと1ヶ月半は左足に体重を乗せてはいけない、とのこと。取り切れなかった骨の小片は、骨折個所が復元する際に取り込まれて安定になっているそうで、これでもう手術の必要がなくなった。
次の診察は1月3日。薬は先のビタミン剤、カルシウム剤、ビタミンDカプセル。今日の医療費は1,074バーツ(≒4,720円)。
病院のフードコートで、60日ぶりの外食をしたかったが、大家さんに、ここはおいしくないからと拒否られてしまった。代わりに家で夕食に、イタリアから買ってきたチーズとドライトマトでワインを飲んだらやはり反対されてしまった。面倒を見てもらって感謝はしているが、面倒くさい。元気になったら引っ越そう。
Day 64
12月7日(土)
両足をお湯で洗う。64日にして2回目。足首から下だけだが物凄い量の垢で、さっぱりした。給湯設備がないので仕方がない。頼むのも気が引けるし、こういうところは日本が懐かしくなる。毎日水で体を拭いているが、お湯のある暮らしは便利であった。
抜糸跡は、部分的にチクチク痛む。AIに聞いてみたら「手術で皮膚を縫い合わせた後、傷がほぼ正常状態まで回復するには6カ月から1年くらいかかります。」とのこと。結構かかる。
それにしても不自由さにストレスが募る。カゴの中の鳥。
Day 65
12月8日(日)
ストレスがたまる日々。
Day 66
12月9日(月)
机に向かっての仕事。
メインPCに残しておきたいファイルづくり。1時間ほど経つと左脚に疲労を感じるため、休憩が必要なのが現状。30分ほど休めば復活するが、肌の色がどす黒くなる。
抜糸後のガーゼを外す。切開跡が生々しい。くっついてはいるが、時々チクリという痛みを感じる。
今週のどこかでイミグレーションへ行かなければならない。90日レポートという制度で、長期滞在者はもれなく提出の義務を負う。車椅子を借りなければ。
Day 67
12月10日(火)
憲法記念日でタイは祝日である。
午前中、しっかり仕事をする。脚の疲労感でやはり1時間が限界。午後はベッドで仕事をする。
90日レポートはまだ提出期限内であることをメールで説明したら、代行費は1,000THB+税と、エージェントが言ってきた。依頼しようと思う。これで車椅子は不要になった。
年末年始、自由に酒が飲めないのは地獄である。また、タイでは茶や珈琲も飲んではいけないという。そんな話は聞いたことがなく、非科学的な迷信がまかり通っているとしか思えない。とかくストレスがたまる。
Day 68
12月11日(水)
エージェントが1,070THBで90日レポートを代行してくれるというのでお願いすることにした。
骨折個所はたまに疼痛がある程度だが、膝の腫れがひかない。まぁ、ゆっくり。
Day 69
12月12日(木)
来週開催のセミナーに出席したいので車椅子を通販で購入。椅子に座る時間を少しずつ増やす。
ウィスキーを買いに近くの小間物屋へ。ここはGさんが経営するお店。10数メートルの距離だったが大変な重労働であった。奥さんが店先に出ていて、家までウィスキーを届けてくれた。友人が買ってきてくれた日本のウィスキーを大事に飲むため。
昼食に、マルちゃんの激にぼラーメンを食べる。これも同郷の友人が買ってきてくれたものだが、美味くてスープを飲み干しそうになった。
夕方、NさんとTさんがビール持参で来訪。楽しいひとときだった。
Day 70
12月13日(金)
机に向かって2時間作業。少しずつ疲労感が緩和している印象。
車椅子が届いた。セットアップはケガをした時に助けてくれた一人、Nrさん。これで多少出歩ける。
夕方、Gさん、Nさん、Nrさんが来訪。大家さんの友人のAさんが料理を作ってくれた。タイ語を教えてもらいながらウィスキーの水割りを飲む。楽しかった。
Day 71
12月14日(土)
近所の小間物屋のGさんに電話をして、ウィスキーを宅配してもらう。ものすごく助かる。ありがとうございます。
トイレの時にうっかり左足をついてしまう。激痛である。まだまだ、先は長い。ゆっくり、ゆっくりだなぁ。
Day 72
12月15日(日)
今朝はお湯で身体が拭けた。熱々だったので蒸しタオルのようにして拭いたらとても気持ちが良かった。もう70日以上もシャワーを浴びれていない。毎日石けん水で身体を拭いているとはいえ、サッパリしたいものだ。身近に公衆浴場や温泉がある日本は素晴らしいと思う。
とはいえ縫合後は時々痛む。
To be continued
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